2007年5月19日土曜日

何を知らないか、を知っているか。


立教池袋キャンパス7号館で行われた公開講演会「「未踏少子高齢化の将来」~21世紀社会デザインの基盤を問う~に、私は21世紀社会デザイン研究家として、また、研究科ニューズレター編集委員として参加した。コーディネーターは、高橋紘士教授、コメンテーターは北山晴一教授。発題者は、高橋重郷氏(国立社会保障・人口問題研究所副所長)、松谷明彦氏(政策研究大学院大学教授)、藻谷浩介氏(日本政策投資銀行地域振興部参事役)。それぞれの専門家が、現在の日本の人口問題にかかわる状況をグラフ・数値を用いて明快にレクチャー。聴講者にとって研究課題としての興味はもちろんだが、それ以上に、そこにいる人々の個人生活に直接かかわる問題ということがしっかり伝わってきた。

改めて痛感したのが、人口問題を語り合うには、ただひたすら優先して数字情報の共有が必須であるということ。そのためには、精査された素材が基になる。どんなときでも、やはり基礎となるのがシンプルな時間軸、空間軸(場所)による比較。そして専門家による明快な解説があればなお良い。とにかく議論の前に、事実情報が必要。そして事実を読み取るための素材として何が必要なのかを見る眼が重要だ。いわずもがな、だけれど。実際に、人口の推移に関する基礎を多くの人が共有していないことも(藻谷氏のクイズで)明らかになった。
おそらく、パネラー各氏も、今日の持ち時間で表せたのはほんの一部に違いない。しかし、高橋紘士先生が語っていたように「眼からウロコ」的衝撃、あるいは「あれっ?」という戸惑い、というインプレッションを多くの聴講者は持って帰れたような気がする。議論はこれから、だ。

私たちは日常それぞれに、様々な方法で情報を入手し、それぞれに考え、伝え、語り合う。「様々な方法」といっても、グローバルなテーマほどテレビや新聞などで入ってくる。それらはどのように選択されたか、状況判断に足りる内容なのか、ということは視聴者や読者に正確な判断はできない。また、多くの情報は、その起承転結が、本質以外の事情(たとえばわかりやすさ、や注目ポイント)に応じて、時間やスペースを条件に編集されている。一方の受け手も、環境や経験によって情報をインプットする素地がばらばら。そんな視聴者が、さらにばらばらのタイミングで内容をインプットする。21世紀社会デザイン研究という積極的な観点で、これはすごくまずいことの優先順位の上位にある、というのが私の主張。ただし、決してマスメディアを批判するものではなく、知識の互換のためにプラスアルファの何かがあるべき、というもの。
そして、私がいつももどかしく思うのは、情報の基を確かめ合わないで議論すること。そして、自分は何を知らないか、について不安にならないことが圧倒的に多く見えること。専門知識がなくても興味があることを議論するのは、もちろん構わない。ただし、「おしゃべり」ではなく、なにか解決しようとして話し合うとき大切なのは、自分はどのレベルで(それを)知っているか、に慎重になることではないだろうか。相手が先行考察している、ということにも、もっと気を遣っていいんじゃないか。そして、相手と、どんなゲージに添って話しているのかを掴もうとすることも、もっとあっていいんじゃないかと思う。
私自身、この部分、まだまだだと認識すべし、だが。
***このテーマは、これからこのブログで繰り返す予定。

1 件のコメント:

KAINUMAN さんのコメント...

面白いシンポジウムでしたよね!サステイナブル地域福祉を研究する僕にとっても結構興味深い話でした。
しかし、あのシンポにもう一人女性だったりNPO系のパネラーがいればよかったのかとも感じます。最後には相互扶助という言葉は出ていましたが、NPOは一言も出なかったですし、最後のコメントでは生活コストを下げるとか、かなり政策よりの視点で終わってしまったので、もっと市民レベルからのアプローチも必要かと思いました。