2007年8月19日日曜日

ありのまま


少しでも論文のポイントにと、本をめくっては線を引っ張ったり、
でも集中せずに、思いついて、グーグルアースでアイスランドみたり。
モーターの音がした。
漁船が3艘、西に向かって横切った。
海は昨日と違ってすごく穏やか。
海の一部が膨らんで波の山ができる。
白波になると音を伴う。大きな岩を乗り越える音。
ごろごろ水中の石をこすらせる音。浜にたどり着くときはピシャッという音を出す。
浜は斜面になっているから登りきれなくなって引き返す。
そのときにはサラサラしたイメージの音がする。
ヘリコプターも来たらしい。旋回しているのか、空気を掻き分けているような安定しない音。
セミは数種類。大合唱だったり独唱だったり。
はじめは何の音も意識しなかったのに、今は音だらけ。

今たたいているキーボードのPCはアンティークのテーブルにある。
テーブルにはカットガラスの花瓶、そこにモンステラの若い葉が一本。
時計と電気スタンド。シャープペン。カシオの優秀な電子辞書。
足元はムクの床。そのままテラス、テラスの柱、その間に針葉樹と丸い葉の庭木が見える。
その向こうは、芝生の斜面が少しだけ、
そして浜が見えて、波のふちはレースのような模様。
海は浜に近いほど砂が透けてグリーン~濃い藍~岩や海草がたくさんあるところは少し紫。
ここから見える海の部分の真ん中ほど、漁船や小型のレジャーヨットが、
なぜかほとんどが左から右に向かっている。
船はみな真っ白に光っている。
水平線にはもっと大きい船が何隻もいてやはり、大島から新島の方に向かっている。
ヘリコプターの音がやんだ。
古い大きな漁船が来た。双眼鏡で覗くと乗っていたのはプロの漁師ではなく観光客。
おそろいのオレンジのライフジャケットを着ていたのでそう思う。

2007年7月1日日曜日

カバはイルカやクジラの仲間だった

狼や狐はイヌの仲間、虎や豹はネコの仲間、これはみんな知っている。ではカバは? ずっとイノシシ~ブタ(分類学的にウシ目)の仲間だとされていたけれど・・・でも実は、イルカ、クジラと同じルーツをもっていたことが、最近になって証明されたということを読んだ。私の知っているカバは、上野動物園のあの小さな小さな浅い人工池のカバ、見ていて痛ましかった。きっと今でも皆が思っているよりずっと感情が豊かなのかも。 だとしたら余計に悲しい。 (でも動物園の飼育担当の人たちといいコミュニケーションができていたということも考えられて・・・幸せでないとはいい切れないですね。)
また、あの海にいるヒトデは、遠い昔、脳があったということもわかったという。生物の世界、長い時間をかけて、失っているものがあるという事実。 人間はどうなんでしょう。私は日ごろから、もしかしたら紀元前の人のほうが今より優秀な頭脳を持っていたのではないかと思うことがよくある。
ところで、周知の科学だったはずの中に間違いがあったわけで、デジタル解析が進んでいる中で、どんどん情報は修正されている。この分ではきっと他にもいっぱいありそう。
それらの「科学」も、おそらく研究中には議論があったと思う。かつて「カバは絶対にイノシシやブタの仲間じゃない!」とか「ムカデの脳は退化したものかも知れないんだ」って主張した研究者がいたのではないだろうか。
しかるべきルートで選ばれて論文発表されたり教科書に載ったりして伝えられてきた科学理論の数々。しかし、すべてが厳密に証明されたものとは限らず、場合によっては何らかの利害や重力が影響して一般的に「正しい」ことになったのが少なくない、というのが実際のところだと、私はひそかに思っている。証明されても明るみに出ていないのもあるんじゃない?

***
健康のために、深夜コンピュータを開くことを控え気味にしていたので、今回久しぶりのブログでした。

2007年6月3日日曜日

評判のよい理髪店

私は、もうかれこれ6年、美容院でなく理髪店に行っている。新宿区の曙橋商店街にある「ヘアサロン141」本店。高いカット技術プラス居心地の良さがあるために、理髪店といっても、老若男女、安心して来ている稀有な存在。マスターの石井氏は業界の兄的存在の人である。とりわけ近くにあったフジテレビ御用達だった。フジテレビがお台場に移転した今も、わざわざ通って来る人もいるらしい。(石井氏は団塊世代の最終歳、業界の協会の理事、資生堂の社外インストラクターはじめ業界若手教育などで大活躍中)
どれくらいカット技術がいいかというと、自宅でのシャンプー後、ドライヤーで乾かしたあとブルブルっと振るだけで、ほぼ毎日、同じ形に整う。つまり再現性抜群なのである。
そして店内の雰囲気がいい。フロントの小さな壁にはかつてパリでの国際大会で優勝した時の賞状が堂々と、そしてスタッフ手製のメッセージが可愛く張られている。 チェアーは7つ、去年改装したばかりだけれど行き過ぎないインテリアデザイン、機能性にこだわって選ばれた調度。壁には何枚かの街を描いた絵に加えて、ちょっとしたコーナーには、野の花を活けた小さな信楽焼小鉢がある。
また、スタッフもサービス精神いっぱいで、いつも笑顔ですること一つひとつが丁寧。(毎日店を閉めた後に詳細なスタッフミーティングをしているようだ。なぜなら、私のわがままが、次に行ったときには他のスタッフにも伝わっている。) サービスの心は深い。12月に行くと、スタッフは全員、トナカイの着ぐるみやサンタの衣装をきちんと着て業務にあたっているのには感激した。
そして、もうひとつ楽しいことがある。それは、2階ならではの眺め。窓際の席からは、商店街を行き交う人や犬の散歩の様子がよく見える。すぐ前は家族経営で大繁盛の花屋さん。店の中と外の区切りなく、新鮮な花や観葉植物がぎっしりで、今日はもちろん紫陽花があった。その隣はいつもひっきりなしに客が来ている靴の修理店。間口は1間ほどなので、アプローチいっぱいに引き戸でディスプレイは一切なく、ショップ名は黒板にチョークで「ソレイユ」と書かれてある。そこの主人は一見して30代。ひょろっとしてストライブの丸襟シャツにエプロン姿、ほんとうに靴が好きでたまらない、といった感じで仕事をしている。

中を見ても外を見ても、楽しさ満点の理容スポット。好きな場所では本が読みたい。私は必ず1冊持ち込んで至福の時を過ごす。アイディアが沸いたり、眠くなったり・・・。

ところで、理容室は月曜が休みで、そのためにスタッフは美術館に行く機会がほとんどない。業界が一丸となって、月一度でいいから月曜開館をと、都に申請したこともあったらしいが、実現しなかったそう。

2007年6月2日土曜日

今日(6月1日)


外はひんやり気持ちの良い日。窓から見える曇り空がきれいだった日。
*写真は昨日の雲

2007年5月30日水曜日

お誕生日の次の日でした


29日、大学院は全面休講2日目、しかし、立花ゼミは猫ビルで開催され・・・

2007年5月28日月曜日

徹底討論・核融合「点火&アフター」を見て、聞いて


日曜日、午後、東大教養学部立花ゼミによるシンポジウム『徹底討論・核融合「点火&アフター」』を聴講。司会は立花隆教授。物理、工学、が学問分野であろうが、私はそれらを理解しようという大それた動機ではなく、ものすごく単純に、21世紀社会デザインの観点で興味を持っていたので出かけて行った。私なりに掴んだポイントは次のようである。

次世代エネルギーの最有力とされている、核融合。研究や原型炉の設計開発が進み、点火次期が目前に迫っているという。(核融合には慣性核融合と磁場核融合がある。慣性核融合はアメリカのNIFが2010年に点火予定。磁場核融合では、50年ほども前にソ連がデザインしたトカマク方式が継続研究で熟成した国際共同炉(ITER)が2020年に点火すると予測されている・・・とのこと。しかし、点火後、原型炉が一般のエネルギー発生装置として稼動するにあたっての国際的調整やタイムテーブルなどが明快でない。また、他のエネルギー源の見直し、環境問題との関連について、今すぐにでも話し始めなければならないところに来ている。

以下、『SCInote』立花隆教授巻頭言より部分を抜粋。シンポジウムの動機が書かれている。

<・・・「点火後」を考えたとき、このままの研究体制・研究リソース配分をつづけてよいか、という問題がある。このあたりで研究戦略のグランドデザインそれ自体を再検討すべき時が来ているかもしれない>。また、<・・・核融合研究がどういう方向に動こうとしているのかがサッパリ見えてこないのはどういうことなんだ、このままでよいのか、という思いにかられた>
そこで、各研究領域の第一人者をそろえて徹底的に語り合う場として企画されたのがjこの討論会である。動機はあれど立花先生なくしては、この企画実行はさぞかし困難であったことだと、つくづく思った。
ところで、立花先生はこの討論会で、納得に近づかれたのだろうか。

私がすぐ考えたのは、すでにビジネスが始まっているということ。それぞれの研究者の方は、マネジメント的な仕事にさぞ時間を取られているのではないだろうか、というような現実的なこと。
できれば、機会があれば社会学関連の専門家の意見をぜひ聞きたい。きっと、この会場にはあまり来ていなかったのではないだろうか。大事なことなのに。

2007年5月26日土曜日

「別れに幸福な気持ちが含まれる」日本人

日本人の別れの挨拶がどうしてもしばらく理解できなかった、という外国人のコラムがあった。(TOKYO NOTICE BOARD 5月25日号) その人にとっての別れは、いつも辛いものだったらしい。だから気軽にさよならを言えない。しかし、日本に来てみると、友人になった人が別れるときに、「・・・陽気に手を大きく振り、見たこともないような大きな笑顔を見せ・・・グッバイ!グッバイ!グッバイ!・・・」、そこで懐疑心いっぱいになってしまったという。そして時間をかけて次第に理解したらしい。「・・・別れる両者は微笑みあい、視界から消えるまでお互いに頭を下げ合い、心地よく分かれる」のだ、ということを。
そういえば、そうかも知れない。私たち、「こんにちは」は結構控えめだ。仕事の相手とも、友人とも、逢ったはじめは、大感激というポーズはあまりない。でも、別れ際は十分に優しいかも。大体にして初めはクール。そしてだんだんとコミュニケーションで打ち解けて、マキシマムがさよならのとき、なのかな。

2007年5月22日火曜日

月曜

昨日、月曜日。打合せ、メール、少しクリエイティブ作業、打合せ・・・健全なオフィスワーク。夕方、退出間際に前日オーダーの書籍がアマゾンからぴたりと飛び込む。”修論”を背負った身としては、根っからの興味と学習が繋がる本は何とありがたいことか! 早速電車で読みながら~立教、指導教授サブゼミへ。その後、乱歩通りの某レストランに移動、スタウトとワインで21世紀社会デザイン研究家ならではのテーマで大盛り上がり、遅くなるほど環境パワーが増した一日。

ところで、新進アーチストとして注目されている「MKIKUTA」。去年まではふつうの心理学の学生だったが・・・ まわりがほうっておかなかったらしい。ブログは、
http://mkikuta.blogspot.com/2007_02_25_archive.html

2007年5月19日土曜日

何を知らないか、を知っているか。


立教池袋キャンパス7号館で行われた公開講演会「「未踏少子高齢化の将来」~21世紀社会デザインの基盤を問う~に、私は21世紀社会デザイン研究家として、また、研究科ニューズレター編集委員として参加した。コーディネーターは、高橋紘士教授、コメンテーターは北山晴一教授。発題者は、高橋重郷氏(国立社会保障・人口問題研究所副所長)、松谷明彦氏(政策研究大学院大学教授)、藻谷浩介氏(日本政策投資銀行地域振興部参事役)。それぞれの専門家が、現在の日本の人口問題にかかわる状況をグラフ・数値を用いて明快にレクチャー。聴講者にとって研究課題としての興味はもちろんだが、それ以上に、そこにいる人々の個人生活に直接かかわる問題ということがしっかり伝わってきた。

改めて痛感したのが、人口問題を語り合うには、ただひたすら優先して数字情報の共有が必須であるということ。そのためには、精査された素材が基になる。どんなときでも、やはり基礎となるのがシンプルな時間軸、空間軸(場所)による比較。そして専門家による明快な解説があればなお良い。とにかく議論の前に、事実情報が必要。そして事実を読み取るための素材として何が必要なのかを見る眼が重要だ。いわずもがな、だけれど。実際に、人口の推移に関する基礎を多くの人が共有していないことも(藻谷氏のクイズで)明らかになった。
おそらく、パネラー各氏も、今日の持ち時間で表せたのはほんの一部に違いない。しかし、高橋紘士先生が語っていたように「眼からウロコ」的衝撃、あるいは「あれっ?」という戸惑い、というインプレッションを多くの聴講者は持って帰れたような気がする。議論はこれから、だ。

私たちは日常それぞれに、様々な方法で情報を入手し、それぞれに考え、伝え、語り合う。「様々な方法」といっても、グローバルなテーマほどテレビや新聞などで入ってくる。それらはどのように選択されたか、状況判断に足りる内容なのか、ということは視聴者や読者に正確な判断はできない。また、多くの情報は、その起承転結が、本質以外の事情(たとえばわかりやすさ、や注目ポイント)に応じて、時間やスペースを条件に編集されている。一方の受け手も、環境や経験によって情報をインプットする素地がばらばら。そんな視聴者が、さらにばらばらのタイミングで内容をインプットする。21世紀社会デザイン研究という積極的な観点で、これはすごくまずいことの優先順位の上位にある、というのが私の主張。ただし、決してマスメディアを批判するものではなく、知識の互換のためにプラスアルファの何かがあるべき、というもの。
そして、私がいつももどかしく思うのは、情報の基を確かめ合わないで議論すること。そして、自分は何を知らないか、について不安にならないことが圧倒的に多く見えること。専門知識がなくても興味があることを議論するのは、もちろん構わない。ただし、「おしゃべり」ではなく、なにか解決しようとして話し合うとき大切なのは、自分はどのレベルで(それを)知っているか、に慎重になることではないだろうか。相手が先行考察している、ということにも、もっと気を遣っていいんじゃないか。そして、相手と、どんなゲージに添って話しているのかを掴もうとすることも、もっとあっていいんじゃないかと思う。
私自身、この部分、まだまだだと認識すべし、だが。
***このテーマは、これからこのブログで繰り返す予定。

2007年5月17日木曜日

仕事VS大学院、その2。減るものと増えるものと・・・

私は会社勤め人。大学院に入るまでは、大体23時頃まで会社のデスクに張り付いていた。でも去年からは約50%違うライフスタイル。
5限からの授業も週1回はとっているけれど、大抵6限からで、5時40分に会社を出れば間に合う。でもそうはうまくいかないのが、会社員の院生じゃないでしょうか。私の場合、大学院通学は宣言しているので、しっかり5時半前に椅子から立ち上がり、退出の準備を始める。と、その途端、必ずといっていいほど、「もう出ちゃうんですか?ひとつだけ確認したいことが・・・」と誰かが駆けつけてくる。それを見て、あっ○○さん、もう出るんだ、っていうことでさらに他の誰かが来る。で、数人の質問に答えたりハンコを押したりしていると、20分~30分たってしまう。ハンコを引き出しにしまって鍵をかける。そうしている間にさらに誰かが来る。ハンコの代わりにサインをする。また誰かが恐る恐る近づいてくる・・話を聞いてしまうと、応えてしまうので、そこは「悪いっ」っていうことで振り切る。ばたばたとオフィスを後にし、まず日比谷線、そしてJR線。乗り継いでいる間は、結構仕事のことを考えている。池袋で電車を降りて学校に着くまではできるだけ地下道ではなく外コース。そこは携帯電話が活躍することが多い。(その電話の成り行きで、校門まで来ていても、会社に引き返すことがあったけど)
そして、学校の門をくぐって、あのモミの木を見た途端! それはそれは見事に仕事のことが頭から消える。そして、はあはあ言いながら遅れて授業に参加。わりとすぐに先生の話に集中できる、結構神妙になれる。先生に対して、というより自分に対してかも知れない。気持ちがいい。頭に入っているか、正しく理解しているか、は別にしても何かが増えていく実感がある。だって、昼間をぎゅうっと密度濃くしてやっと作った時間、珠玉の時ですもん。自分なりに楽しみ、90分の授業が短く感じることこそ多く、つまらなかった、という授業なんて私にはない。で、6限だけだと8時に終わる。7限があっても9時40分には終わる。会社にいるときよりははるかに健康的。帰り道は授業のことを思い出しながら歩き、キリンじゃないけど(意味わかる?)、「ああ、そうだったのか」なんて、かなりずれて納得したり。
・・・・と、いうのが1年目のほとんど毎日のこと。
今期は履修を半分くらいに減らした。必要な単位は取ったし、修論準備があるから。でも、今日もそうだけど、授業のない日はやっぱり会社を離れるのが23時をしっかり超えてしまっている。そのことに気がつくのはビルの1階。いつもの出口が閉まっていて、小さなドアから出て、ガードマンの方に「お疲れさま」を言うとき。授業の数が少ない分、帰宅後にレポートに追われなくなって、それは体力的に楽になった。
仕事はもちろん大事なのだけど、あまり時間外に業務をしすぎ、食事のチャンスを逃し、眼がかすんできたり、声がかすれてきたり、キーボード打ちにミスが多くなったり、方がだるくなったり、足がだるくなったりしてくると、「何かが減った」感じ。で、で、学校で、受講していると「何かが増えている感じ」、特に研究に直線でつなげたいような素材に出逢ったときは、「大変お得」な感じがする。もちろん仕事にもプラスのフィードバック、に決まってる、はず。・・・あっ・・・もうこんな時間・・・眼が・・・。

2007年5月15日火曜日

仕事VS大学院、その1。疲れ方。

そういえば、土曜の研究報告会。私は朝一番組で発表、その後、あっちこっちの部屋をのぞきながら結局最後までいた。自分の発表はわずか15分だったのに、皆の緊張が雪だるまみたいに大きな塊になっていたらしく、気がついたらどっと疲れてしまって・・・・。でも、仕事とは全く違う疲れ。仕事場も学校も神剣勝負だけど、この疲れの違いは何だろう・・・身体VS頭ではないし。だって仕事でも頭は使うし、大学院でも身体は使うし。
仕事と大学院、無理やり両立させていて、どっちが身体の負担がないかというと、よくわからない。少なくとも楽しいのはもちろん後者の方。夕方学校の門をくぐるたびに、ふわっと気持ちよくなる。仕事のストレスを一瞬で忘れる。帰り道、頭はポジティブになっている。某シンクタンクに勤める博士課程のHさんは、大学院のこと「ディズニーランドみたい」って言っていた。

2007年5月13日日曜日

35日間飲食無しでアメリカに船旅をした中国の猫

「ネコ屋敷」住人として、他人事とは思えなかったニュース。
アメリカのノースカロライナ州のバイク店での話。中国から船便で届いた部品の詰まった荷物を空けたところ、ハコの隅に猫がいたという。その船は4月4日に上海をスタート、猫はハコをかじって中に入り込んだらしい。少なくとも35日間飲まず食わずで衰弱していたらしい。地元の獣医によると、「猫は肝臓がとても強く、水分の欠乏にも適応できる。水滴から水分をとったのではないか」ということ。 (05月13日、CNN.co.jpより)
しかし、食糧はともかく、1月以上何を考えていたんだろう。
猫や犬の1年は人間の6年に相当するという。たとえば、犬を10時間留守番させるのは、人間なら5日分じっと待っていることになる。だから、飼い主が帰ってくると大歓迎になる。「ただ帰ってきただけなのにこんなに感謝されてありがたい」と人間も感激し、そのたびに疲れもどっと癒される。
町の猫のあの俊敏さ、警戒心いっぱいの目を考えると、さぞかしデリケートな精神(?)を持っていると思う。船の中のハコの中、どんなに長く辛く不安だったことか。でも、強気で耐える姿も猫らしい。犬だったら、精神的にとても無理じゃないかなあ。
ところで、その猫は「チャイナ」と名づけられ、家族ができたらしい。 よかったね。

2007年5月6日日曜日

母ブログ開設


この休暇のお役立ちのクリエイティブワーク。母の写真作品集オリジナルサイトを創った! (これもひとつの立花ゼミ効果)写真でつづるブログなのです。母としては俳句も入れていきたいそうだけど、続くかしら?
http://leikogallery.blogspot.com/


ささやかな休暇。思うままがいい。

去年のゴールデンウィークもこの家で海と一緒に過ごした。いつも、いろいろな準備をしてくる。DVD(10枚くらい持ってきた)を見る、本を読む(ジャンルを考えて7冊持ってきた)、そして修論原稿(データ素材一式を持ってきた)を進める、等々。でも、3日位の休暇だと、海岸散歩や海岸昼寝はするものの、いわゆる日常生活的な用事も思いつくままにしてしまって、「持ってきた」ものはほとんど活躍せず。 今日は雨だから落ち着けるかも知れない。東京に帰るまであと半日はある。あっ、夜のために刺身を魚屋さんに頼まないと・・・。ここでは捕れたての地元の魚が楽しめるのです。

2007年5月5日土曜日

海しか見えない。波の音しか聞こえない。


庭と部屋との境目にテーブルを置いて、ラップトップのキーボードをたたく。庭は低い小さな木がたくさんあって、新緑の葉の足元に、金赤、黄、ピンク、紫とビビッドな花々。で、その向こうは太平洋。さっき砂浜で本を枕に眠ったので結構すっきり。ここに来るといつも思うのだけど、仕事一式をここに運べないものか、と。だって、Eメールがあれば、対話も資料送信も十分。会社では部内の連絡も、たった数メートルの距離でもメールしてるくらいなんだから。
私は育ったのは東京だけど、夏休み、冬休みはまるごとここ、母の実家で祖母と過ごした。だから年間の2割くらいは海と一緒。大人になって(ずいぶん経つけど)来る機会は激減したからこそ、ここの1日は私にとってすごい休息。
朝は晴れていたけど、だんだん曇って、しっとりしてきて、緑の香りが物質的になってきた。成分が皮膚に染み込んでくるような。