2009年10月18日日曜日

戦争があった日常

 私の研究の関心は、個人の日常のふれあいがかもし出す限られた社会の様相。そして、それが徐々に大きな社会に関わっていくのか、というものです。そのなかから、何らかのきっかけで、マスメディアの目にとまって大きなニュースになることがあるし、社会的な情報にならないで消えていく場合がある。私が注目したいのは、その消えていく情報です。
生活の最も尋常平凡な物は、新たなる事実として記述せられるような機会が少ない。われわれの世相は常に、このありふれた道の上を推移したのであった 」とは柳田國男のことばです。
 高齢者の方々から昔の思い出を語っていただいて編集し一部を全国規模のメディアを通じて発信する活動を、私は約7年の間、継続して行ってきました。そこでは必ず戦争の日のことを伺いました。その取材記録の中では第二次世界大戦のとき46歳だった人が最高齢で、低年齢では6〜7歳(つまり体験を自ら語れる人の幅)。 その当時は多くの個人が、今のニュース一本になるくらいの経験を日常にしていたのです。そのことは多くの人が理解をしていても、具体的にどうだったのか、知られているのは僅かです。親から子に、個人的に語り継いでいくには限界がありますし、どんどん遠のくばかりです。
 ごくごく一部の方々ですが、インターネットに手記を発表されています。いかに貴重なものなのか言うまでもないですね。そして、戦争体験者の手記のサイトを集合して発信活動をしている方がいます。次のURLです。

  ◎『戦争を語り継ごう』
  *「全般」というところで一覧が見れます。

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